BEHRINGERストーリー

BEHRINGERストーリー

  • 祝・ベリンガー創立20周年!

    祝・ベリンガー創立20周年!

    ベリンガーの歴史は今から20年前、自宅のキッチンテーブルの上から始まりました。当時は、ただの「ワンマンキッチン会社」が、プロオーディオ業界で大成功を収めて発展するとは夢にも思いませんでした。どんなに大きな成功を収めても、それまで裏で支えてくれてきたチームの努力を決して忘れてはなりません。3500名すべてのベーロイド達(私たちは献身的なスタッフをこう呼びます)に、心から感謝の気持ちを贈ります。スタッフの皆様、本当にありがとう。また、お客様に対しても感謝の意を表します。これまで多大なサポートを頂き、本当にありがとうございます。今後も皆様との関係を、今まで以上に身近なものにしていきたいと思います。

  • ベリンガーの成り立ち

    ベリンガーの成り立ち

    この場を借りて、ベリンガーの歴史を皆様に紹介したいと思います。私、ユーリ・ベリンガーは1961年にスイスのZurchに近いBadenという小さな町で生まれ、音楽一家の中で育ちました。母は、私が4歳の時にピアノの弾き方を教えてくれました。私が完璧なピッチで弾く事に気付いたピアノの先生は、 私を“The Ear”(耳)と呼びました。この“The Ear”が、後のベリンガーのロゴとなったのです。父は原子物理学者でありながら教会のオルガン奏者でもあり、1966年に世界初の電動式パイプオルガンを作った人でもあります。私は小さい頃から、近所の人に頼まれてコーヒーメーカーからTVセットまで何でも修理し、自分の部屋を本格的な修理工房に改装したりもしていました。

  • 「ピアノの演奏をやめてくれない?」

    「ピアノの演奏をやめてくれない?」

    音楽と電子工学が、私をクラシックピアノやSEへと駆り立てたのは明らかな事実です。私は1982年にドイツのデュッセルドルフに移り、ロベルト・シューマン音楽学校に進学しました。時折勉強しながら、週に4日間演奏することもありました。ある日、私は他のピアニストの代理でゲストがリクエストする曲を弾いていました。すると、ゲストの1人が私のピアノの上に50ドル札を置き「リクエストしてもいいかい?」と言いました。彼は私に「ピアノの演奏をやめてくれない?頼むから」と言いました。そのお金をピアノの上に残し、私はホテルを出ました。その時、これは自分が求めていたキャリアではない。そろそろ人生について真剣に考えていかなければならない、と思ったのです。

  • 友人は皆、同じ問題を抱えていた

    友人は皆、同じ問題を抱えていた

    大学には2本のマイクしか用意されておらず、その2本を100人の生徒が使うため何カ月も待たなければなりませんでした。ミキシングコンソールやテープマシンは度々メンテナンス中でした。私は、SEになるためには自分のスタジオが不可欠なのだと気づき、自分だけの機材が欲しいと思いましたが、学生の身分ゆえにスタジオが作れるほどの資金はありませんでした。ある日、1000ドル相当のシグナルプロセッサーを分解した時、中の部品は100ドル程度のものであることを発見し、その後は自分で機材をデザインするようになりました。当初は自分用に作っていただけでしたが、完成前にも関わらず友達や音楽仲間から10台も注文を受けました。友人は皆、性能が良くて低価格の機材が見つからない、という同じ問題を抱えていたのです。

  • 個人的な使命

    個人的な使命

    プロスペックの製品を手頃な価格でミュージシャンに提供するということが、私の個人的な使命となりました。これは後にベリンガーの「倍の価値を半額で」という理念を生み出し、「プロシューマー」という言葉や宅録といった新たな概念を打ち立てました。ここ数年は、優れた人材や設備、質の高いシステムへの投資を積極的に行いました。160名以上のR&Dエンジニア、最先端の設備が整ったベリンガーシティという大規模な投資がそれを物語っています。ベリンガーは本当の意味で業界をリードする企業になろうとしているのです。しかし、私は原点である「どうしてこのビジネスをはじめたのか」という問いを忘れた事はありません。20年以上に渡り、ミュージシャンやレコーディングアーティストから数え切れないほどの感謝の手紙を頂きました。この手紙がベリンガーを前進させる、大きなモチベーションとなっているのです。

  • アジアにおける12年間の壮大な旅

    アジアにおける12年間の壮大な旅

    「プロスペックの商品を低価格で提供する」という使命を前提に考えた時、ほとんどの電子部品は中国から来ていることや、工場の運営コストがヨーロッパよりも中国の方が格段に低い、ということも知りました。生産拠点を、出来る限り原料や人材の近くに設置するという合理的な考えを基に、契約可能な工場を探すべく1990年に香港へ旅立ちました。しかし、契約工場とのやりとりが始まった後、私は1万6千キロも離れた工場を管理するのは不可能だということを悟りました。出来あがったサンプルが完璧だったにも関わらず、届いたコンテナにはレモンがぎっしり詰まっていた、という事もしばしばありました。1997年、現場に近い香港に場所を移す決断を下しました。契約工場と原料が同時に管理できるよう、現地にオフィスを建てましたが、それからも生産した商品の質や運搬は絶えず問題となり、契約した工場を管理する事は到底無理だという事を知りました。

  • ベリンガーシティの誕生

    ベリンガーシティの誕生

    2002年、中国に自社工場設備を創設するという、ベリンガーにとって歴史に残る画期的な決断を下しました。ベリンガーが中国で直面した数々の努力を紹介すれば、一冊の本になってしまうことでしょう。ベリンガーにとって最も大切な事は、より高いクオリティーの商品を作ることと、コストを低くすることです。この2点を徹底することで、皆様に素晴らしい商品をお求め易い価格で楽しんで頂けるのです。ビジネス基盤やZhongshanに建てた最先端の工場"BEHRINGER City"への莫大な投資により、生産工程を統括して管理出来るようになり、スタッフ一人一人が同じ価値観で同じゴールを目指す事が出来るのです。これらの実現により、自分たちのスケジュールをコントロールし、他社には成し得ないクオリティーの高い製品を提供出来るようになった事は、非常に大きな出来事です。

  • 10万ボルトのモチベーション

    10万ボルトのモチベーション

    現在、ベリンガーでは素晴らしいプロジェクトが進められており、もうすぐ皆様にもお知らせできます。より良い商品、より良いサービスを継続的に提供するとともにR&Dへの投資にも重点を置き、近々、High-techセンターを中国とアメリカにオープンする予定です。価値ある商品を生み出すことに焦点を置き、新しいテクノロジーに投資を行うことにより、最高のエンジニアを迎えられるのです。ベリンガーが取り組んでいるプロジェクトの中でも、最も楽しみなのが“The Behringer University”です。これはEラーニングツールを使い、スタッフが自宅からでも勉強できる環境を提供することで、スタッフのキャリアアップを手助けするというものです。このプロジェクトでは、管理職の勉強や外国語の習得といったコースを提供していきます。スタッフを成功させ、彼らに10万ボルトのモチベーションを注ぎ込めるようなシステムを作るのは、最高に素晴らしいことです。

  • 情熱は人生のエッセンス

    情熱は人生のエッセンス

    私はいつも情熱的で、まさに人生の本質は情熱にあると信じています。時々“ユーリ・ベリンガーでいて一番良いことは”と聞かれますが、そんな時は“私よりも頭が良く、素晴らしい人達に囲まれ、情熱の中で生きられることです”と答えています。20年前、SEを目指すも機材を買えなかった、ということからスタートしたベリンガーですが、20年経った今でも理念は変わりません。皆さんが音楽に対する情熱を追求出来るよう、より良い機材を適切な価格で提供する事。次の20年で、何がどんな風に面白くなっていくのか楽しみです。

創設者兼代表取締役
ユーリ・ベリンガー